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泥のような

菩薩と子供のはなし

せめて言葉にしておく話

自分の情動が落ち着いた分、いよいよ労働環境が許せなくなっている。何と言うか、わたしなんかより随分付き合いも長くて距離も近い人たちの集まりで、そこに口は出せないし出すつもりも筋合いもないけれど、こと仕事となるとどう考えてもおかしすぎるので腹しか立たないぜっっっ。特殊な環境と業種なのも分かってはいますが、それで許せるかっつうと許せるわけないのな。あんなしんどそうな顔して家にも帰れん仕事をいい仕事なんてわたしはよう呼ばん。
わたしは自分の時間を大切にしたいと思っているので、そこに介入しない仕事を選んだ。規模の大きさとか転勤しなくていいとか休みがあるとかちゃんと帰れるとか。もちろんこれから人生の大きい部分を充てるので、生活と仕事を切り離すことなんてできないのは重々承知。それでも、オンオフを切り替えられる仕事を選んだつもり。そうか、書いてて思ったけど、業務内容や勤務時間より何より、オンオフを切り替えられないのが仕事にとって一番しんどいのかもしれないですね。

冷たい言い方のようだが、まあ働いてるのはわたしじゃないし、こんなこと本来ならわたしが考えることではないけどね。それでも、隣で生活する未来なども少しは考えたりしてるので(うそ、だいぶ考えている。というか、妄想している)、やっぱり能動的でない理由で家に帰ってこられないとか、休日も仕事をするとか、しないにしても疲れているとかは中々耐えられないと思う。本人に腹を立てる気は全くもってないけど、その分環境を憎むと思うし今抱えてる可哀想な殺意は更に大きくすくすく育つことでしょう。あらまー。それまでに少しでも状況が改善されますように、と祈らずにいられない。価値観が違うとか、学生の甘えって言われたらそれまでだとしても。

どんなにしんどくてもこの人を捨てる気はさらさらないし、捨てられたくもないので、やれることは何でもやってみせる。わたしにとって代わりの利かないだいじなだいじなこの人を守りたいのだ。どなた様も諦めてもらっちゃ困るってよ。

Don't think, feeeeeeeeeeeeeel!!!!!!!

あれだけ大泣きして迷惑かけてずっとずっと何回も言われてきたことをまた言ってもらって1週間経って、やっとちょっとだけ分かってきたかも。今回のことを嚙み砕けてきたってのもあるし、1年以上経ってようやく自分に向けてもらえてる気持ちを正面から見れるようになった、ような、気が、する。

 

あの酷い大泣きからものすごく頻繁に電話をくれるようになった。日に2回とか、流石に嬉しい。へへへ。未だに「あんなにめんどくさいこと言ったから気遣ってんちゃうか」って思ってしまうけど、ほんのちょっとだけ、「ああ、この人はほんまにわたしのことを感覚で好いているのかもしれない」と思えてきた。まだなんで自分がこんなによくしてもらえるのかは分からんしワガママ言ってしまったり上手くニコニコヘラヘラしてられへんかったりするときは不安になるけど、「好きやからそういうことしても捨てんとおってくれるんかな」ってちょっとだけ思えるようになった。これ、自分の中ではすごい進歩やと思う。笑

これまでもずっと相手のことは信じてても自分に自信がなかったのだ。「愛してる」の言葉には何の疑いもなかったし嬉しかったけど、「そんな言葉をかけてもらえる自分」がどうしても信用できなくて自家中毒になってたわけ。それを、ようやっと、「あっ別に理由とかないんかも、ただ好きなだけかも」ってわずかながら思えるようになったりなどしました。例えば顔とか性格とか立ち居振る舞いとか、そういった個別の理由じゃなくて「わたし」を単純に好いてるだけなのかも。まあ、前からそう言ってらっしゃるのをわたしが聴いてなかっただけってのはあるんですけど。笑 翻ればわたしだって多分そうで、そらまあ好きなところ挙げろって言われたら具体的な項目にできるし隣にいてくれるその「場」みたいなものが好きなんやろうけど、でもやっぱり「好き」なこと自体にはあんまり明確な理由はないのかもしれない。最初から「この人とは仲良くなりたい」って思ってたけど、そこには理由なかったしね。もう少し素直に、何も考えずに気持ちを受け止めることと気持ちを伝えることを覚えよう、と思う。伝える方はもうちょっとまだ時間かかりそうかな。笑

 

(それにしたって酷いのろけだなア)

無題

色々分析した結果、多分2人になりたかったんやとおもう。わたしだけを見ててほしかったっていうワガママ。そういう理想を言うなら、それこそ黙ってやり遂げなあかん話で、一番言ったらダサい人に一番言ったらダサいこと言ってしまった。後悔してるし反省もしてる。申し訳ない気持ちばっかり湧いてくるや。

 

癖というか性格というか、「自分は好きでも向こうは自分のこと好きじゃないやろう」っていうの、誰に対してもいつまで経っても抜けへん。だから、「構ってもらえて嬉しい」の次に「なんでこんなに優しくしてくれるんやろう」がすぐに出てくる。貴方の隣にいてて恥ずかしくない自分でないと興味なくされてもしょうがないし、自分よりしんどくて忙しい人やからちょっとでも重みを背負わせたくないと思ってしまう。そらそればっかりってわけにはいかんでも、いつだって会えばにこにこへらへらしてたいよ。普段ずっと頼ってしまってるのも分かってるから、会ったときまで嫌な話も聞かせたくないし機嫌よく楽しいときを共有できたら、と思っている。できてないけど。

 

自分でも分からん話やのに、しかもぼろぼろ泣きながら言ってて、そんなん意味分からんやろうに、優しく丁寧に聴いてくれて、そんなこと思わんでいいって、おれはそんなこと思ってないからって、時間割いてるんじゃなくて共有するもんやからって言ってくれるの、優しすぎる。ほんまに。なんでそんなに優しくしてくれるの。こんなに優しくされて甘やかされたら、貴方なしではもう立たれへんくなってしまう。よ。凛としたわたしでいたいけど、やっぱり根が甘えたやからそうやってぐずぐずに溶かされてまどろんでいたくなってしまう。弱いなぁ。

 

でももういい加減やめよう。

何回も何回も同じこと思っては同じ言葉をもらって、ずっと理想にしてるんやから、理想と現実のギャップが辛いなら埋める努力をしよう。

強い自分になること、この優しすぎる大事な人も、その周りの人も環境もぜんぶ守れる自分になること。色々やらなあかんことはあるけど頑張ろう。それを等身大の自分って言えるまで。もう決めた。泣き言は言わない。

しょうがない、の話

周りに年上の人が多いこともあって、「まだ若い」ってよく言ってもらえるし世間一般的にもまだ若いと思うけど、それでもこの歳になると自分の力ではどうにもならない、すなわち「しょうがない」ことが世の中にはあるということが分かる。

 

もちろん「諦めなければ何とかなる」だとか「本気でやればできないことはない」といった言葉を否定するつもりはないし、むしろそれは真であると思う。自分で限界を決めてしまうとそれ以上のことは成せない。当たり前の話。けれど、ものすごく精神が強いわけでもなければものすごくポテンシャルやバイタリティを持ち合わせているわけでもない“普通の人”にとっては、大抵のことは「しょうがない」のだ。多分。「本気で頑張る」体験をしてこなかった割にそれなりの成果を得てきてしまった生いたちのおかげで、わたしは人よりガラスの天井を作りがちになってしまったのは否めないけれど、まあそれにしたって力の及ばないことはこの世界には多くある。悲しいぐらい毎日。

 

ただ、悪い面ばかりではないのだ。「最大多数の最大幸福」のようなものを求めるときに役立つ志向である。上手く使えば。できないことがある→じゃあできないなりに楽しく過ごすには、と代替案を探す方にすぐにシフトできる。できないことにいつまでも労力を費やすよりはよっぽど合理的で健康的だ。歩みを止めないために迂回路を探す、という方法は時にネガティブな印象を抱かせる。しかし、土砂崩れで埋まってしまった道を素手で掘っていたずらに手を汚すことに終始するよりは、回り道でも、あるいは目的地が変わってしまっても、歩き続ける方がたぶん美しいのだ。効率的でもあるし。

 

口癖のように「しょうがない」と言ってしまうけれど、だからこそそこは置いといてよりよく生きる方法を探すのも悪くないんじゃないかと思う。堂々巡りをするよりは。受け入れる・受け止めるマインドもやはり必要で、自分の手では動かせない何かと共存する姿勢も人には不可欠なのだ。とはいえ、やればできることをやる前に諦めてしまうのはわたしの悪癖なので、80%の自分ではできないが100%の自分ならできる、ということを取りこぼさないように進んでいけたら、などと思う。

忘れたり気付いたり忘れたり

久しぶりに、割と長く観てきた(つっても3〜4年やけど)バンドたちを観に、大好きなレコード屋さんの周年企画に行く。

それなりに追いかけてきた分その中でできた友達がいっぱい来る。うちの人がいなくて界隈も関わりなくて知り合いもいないライブなんてとっても久々。な気がする。少なくとも数年そういった世界で生きてきたはずが、ここ1年少しの間に結構忘れてた。ずっと1人でいたくせに。笑

まあこの人ばっかりの世界に生きるのもひとつの幸せであるけど、わたしの人生はこの人だけでできてるわけではないし、色んなところで色んなものを吸収してよりよい自分を更新し続けながら隣にいる方がたぶん健全で魅力的だ、とおもう。でもこれはやっぱり理想の話なので、どうも近視眼的なわたしは目の前のことばっかり見てしまって大人の女にはまだまだ程遠いなぁと反省する次第です。

 

わたしの所有権は貴方にあるけれども、構成元素は貴方だけではないし貴方だけに精神上絞ってしまうのはわたしにも相手にもよくない。お互い。この考えは、縛りたくない、という姿勢の素にもなっている。縛りたくないし縛られたくないけどお互いの犬笛を聴く耳はしっかり持ってたいと思うし、お互いのいないところで触ってきたものを関係や人間性にフィードバックしてアウフヘーベンできるような2人でいられたらな、などと考えるぼくなのでした。おやすみ。

無題

自分が嫌なだけなのか何なのか自分でも分からんけど泣きそう。ただただ嫌でどうしようもなくて辛い。一番辛いのはわたしじゃないのも分かってるのに。わたしごときが辛いなんて言ってはいけない。ほんとうにほんとうに、この人が幸せに生きられる世界をくれ。頼むから。わたしのことなんていいから、この人のことだけは頼むよ。お願い。